書評「新訳 フランス革命の省察 保守主義の父 かく語りき」

 「保守」という言葉がある。

 どんな言葉か、大辞林を調べてみた。

①古くからの習慣・制度・考え方などを尊重し、急激な改革に反対すること。 ↔ 革新
②正常な状態を保ち守ること。 「 -点検」 「人の品行を-し/西国立志編 正直」

 言葉の意味など辞書を読めば、ほぼ一発で解決できる。

 しかし、なぜかこの言葉を経済的な姿勢の問題と絡めて誤って説明したり、権力側が保守であるなんてトンチンカンな言説が飛び交っていたりする。

 どこぞの国の岩盤規制破壊ドリル首相は「私は保守だ」なんて言っているらしいが、私の感覚から言えば「どこかやねん!」と思わず関西弁で叫んでしまうぐらいおかしなことだ。

 しかし、ここで疑問が湧き上がる。

 では真の「保守」とは何ぞや?

 この答えを知るために、巷では「保守主義の聖典」なんて呼ばれている本を読んだ。

「新訳 フランス革命の省察 保守主義の父 かく語りき」である。

 

[新訳]フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき

[新訳]フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき

 

 

 

 タイトルの通り、この本にはフランス革命に関する著者エドモンド・バークの考えがまとめられている。

 しかし、プロローグから驚きの事実が告げられる。

本書の原著(中略)は、いまから221年前、1790年11月1日にロンドンで刊行された。(中略)『フランス革命の省察』が扱ったのは、革命の初期段階のみだったのである。なおエドモンド・バークは1797年7月に死去しており、ナポレオンの栄枯盛衰はもとより、革命の終結すら見ることはなかった。(本書 p.4)

 なんと著者が革命の終結後にまとめた訳ではなく、革命が勃発している最中にまとめていたというのである!それにも関わらず、革命の行く末を見抜いていたというのだからすごい。しかし、この本はベストセラーになったにも関わらず、当時高評価ではなかったという。

フランスでの革命など、バーク氏の豹変に比べれば驚くに足りぬ

ー 第3代アメリカ大統領 トマス・ジェファーソン 

 この罵倒は芸術的だ。感服させられる点は多いが、賛成できる点は何もない。

ー イギリス首相 ウィリアム・ピット

どうにも趣味の悪い本だ。

ー チャールズ・フォックス 

 当時、フランス革命の支持者は、歴史的に因縁の深いイギリスでも一定数はいたそうだ。(王国の崩壊を喜んだり、啓蒙思想やら自由を讃えたり、理由は様々だったようだが)それなら、否定的な評価を受けたのも納得だ。表向きは、王の圧政に国民が反旗を翻して打倒した美しい物語に見えるのだから。しかし、次第に革命の理念が暴走を始めた時に、本の読者たちはこう思ったのかもしれない。バークの言っていることは的を射ていたのではないか?と。

仕組みを破壊すりゃいいというもんじゃない

国家を構築したり、そのシステムを刷新・改革したりする技術は、いわば実験科学であり、『理論上はうまくいくはずだから大丈夫』という類のものではない。現場の経験をちょっと積んだくらいでもダメである。

(中略)

長年にわたって機能してきた社会システムを廃止するとか、うまくいく保証のない新しいシステムを導入・構築するとかいう場合は、『石橋を叩いて渡らない』を心情としなければならない。(本書 p.12-13)

 うーん、なんて説得力……。仕事で何回も失敗したことのある人間からすれば、何回もうなづいてしまう含蓄のある言葉である。

 いかに能力のある人間が立てた計画だろうと、失敗するときは失敗するのだ。特に、増長したビジネスマンの政治的発言には要注意だ。彼らが活躍した世界と政治は規模が違う。失敗した時の破壊力は計り知れない。

保守とは”変えないこと”ではない

おのれのあり方を変更する手段を持たないようでは、国家はみずからを維持しつづけることができず、したがって保守の手段を持たない。(中略)「保守」の原則をつらぬくためにも、「適切な範囲の変更」の原則が必要なのだ。(本書 p.49)

 保守とは”変えないこと”にあらず。伝統主義と違う点はここにある。

 誰かを苦しませたり、もはや必要のない制度があるならば、修正したり、廃止したりするのが保守主義である。バークの時代からそこは変わらないらしい。

 当然、急進主義のような短絡的な修正とは違う。あくまでも常識の範囲で考え、討議の上で問題点を洗い出し、おっかなびっくり修正する。それが保守の姿勢だ。

人権という爆弾

しかも彼らは、古来の伝統や、過去の議会による決議、憲章、法律のことごとくを、一気に吹き飛ばす爆弾まで持っている。この爆弾は「人権」と呼ばれる。(本書 p.91)

 補足すると、バークは別に「人間の権利」を否定している訳ではない。

 人権の名の下に行われるあらゆる行為は正義である、という考えを持つものには、その行為の後に何が待ち受けているだろうかと想像する力が往々にしてない。このことについて批判している。

 正義ヅラしてやっていたことが、巡りめぐって自分たちの権利を侵してしまうことを危惧しているのだ。

「人権」。ある意味で近現代最強の武器ではなかろうか。

世論って本当に正しいですか?

完璧な民主主義こそ、もっとも恥知らずな政治形態なのだ。そして恥知らずということは、とんでもないことを平然としでかすことを意味する。(本書 p.128) 

 バークに限らず、プラトンを始めとする歴史上の賢人達は完全民主主義なるものを批判していることが多い。

 なぜなら「民意は常に正しい」という考えに基づいた権力の行使は、専制君主の横暴と同程度、いや、それ以上に横暴になる可能性があるからだ。

 考えてみれば当然だ。専制君主は生産手段を持たないが、民衆にはそれがある。民衆がデマゴーグにやられて、自分から積極的に動いてしまえば、もはやブレーキなど効かないのだから。

 しかし、賢人達の言葉を無視して、歴史は繰り返す。学のないものにまで選挙権が行き渡る状態を尊いと考える状態。さて、次は何をしでかすか?

まとめ

 ここまで「新訳 フランス革命の省察 保守主義の父 かく語りき」についての書評を展開してきた。しかし、この書籍には語りつくせないほどの魅力が詰まっている。現代の日本人にこそ、バークの言葉を伝えたい。昨今の状況を考えると、そう思ってしまうのだ。

 人間はIT技術を軸とした急進的開発スピードに慣れきってしまった。その感覚は政治の世界にまで入り込み、混乱を招き続けている。今の時代にこそ、保守という考えは必要不可欠なのかもしれない。